見えない職場いじめの加害者は、被害者を洗脳しようとする
職場いじめのは、加害者による被害者への冗談にまぎれたツッコミやジョークの回数が増えて日常化してきます。
そのツッコミやジョークの内容も辛らつなものになってきます。ときどきは、ツッコミやジョークの域を超えて、「嘲弄」「嘲笑」「揶揄」のレベルになることもあります。
しかし、あくまでも表面的には「日常の職場のやり取りの中でのツッコミやジョーク」として偽装された攻撃なので、職場いじめとしては見えません。
被害者は加害者の攻撃に対して、ようやく不快感を感じています。
しかし、被害者はここで怒っていいのかどうか分かりません。なぜなら、この段階ではたまに加害者が被害者に援助の姿勢を示すことがあるからです。例えば、「しようがない奴だな・・・、」という感じで仕事を手伝ったり、何かの物をくれたりするのです。
加害者から援助されると、被害者は「この人は本当は優しい人なのではないか?」「この人はたんにツッコミ体質なだけであって、日頃の辛らつな言動に悪意はこもってないのではないか?」とも考えます。
結局、被害者は加害者の本心が分からず、怒るのをやめてしまい、日常的に攻撃を受ける関係を維持してしまうのです。
この加害者がたまに見せる援助の姿勢が、この段階での加害者の逃げ道になっています。まず、これによって被害者を混乱させて、加害者の悪意のある攻撃心を見えなくしてしまいます。
もしも、被害者が反撃に出ても、「なぜ怒るの?私に悪意はないのだよ。あなたを私なりに可愛がって世話をしているんだよ。」という具合の言い逃れができるのです。
又、加害者が被害者に見せる援助の姿勢は、職場の人々の目をも欺きます。これによって、加害者は「自分は被害者をいじめているわけではない。
その証拠にこうやって援助することもあるのだ。」ということを職場の人々に印象付けているのです。
その結果、職場の人々からの「ちょっと言いすぎじゃない?」という非難の声が上がるのを防ぐことができるのです。つまりこれは、計算して演じられている職場の人々向けのポーズでもあるのです。
職場の人々は、加害者と被害者のやり取りを日々見ていると、加害者の辛らつなツッコミやジョークに慣れてきます。そして、それがいつの間にか「嘲弄」「嘲笑」「揶揄」のレベルになっていても、その発言の倫理的な不適切さに気づかなくなります。
ある意味、職場の人々も加害者に「教育されてしまう」と言えます。
そしてそれどころか、被害者のことを「冗談を言いやすい人」「からかいやすいキャラクター」として捉えるようになります。
さらに、職場の人々の中でも加害者の性格と同じような傾向を持つ人が出てきて、加害者によるツッコミ、ジョーク、嘲弄、揶揄などに積極的に同調して、一緒になって嘲笑するようになります。
このような人が少しずつ現れてきて、加害者グループが形成されていきます。加害者は、被害者が自分との関係に服していること、そして自分に同調する加害者グループが形成されてきたことによって、「自分がその場の雰囲気を牛耳っている」というような雰囲気になります。